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【神対応】昭和天皇とマッカーサー元帥との衝撃の出会いと絆とは!?

読了までの目安時間:約 20分

 


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【神対応】 昭和天皇と

      

       マッカーサー元帥との

            

         衝撃の出会いと絆とは!?

 

 

 

天皇陛下の『ある一言』が、

 

 

 ふんぞり返っていた

 

  マッカーサーの態度を一変させた !

 

 

 

その言葉が世界を感動させたとは!!

 

 

1945年8月15日、

 

 

第2次世界大戦で日本は敗北を受け入れ、

 

昭和天皇による玉音放送を持って、

 

ポツダム宣言受諾を表明。

 

 

 

大東亜戦争はここに集結した。

 

 

その玉音放送で読まれた文書の中に

 

 

「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍び」

 

 

という日本の 復興についての

 

お言葉は とても有名ですが、

 

 

「皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ」という

 

 

お言葉を使われたのをご存知でしょうか?

 

 

 

「皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ」とは、

 

 

天津神から(国津神)お預かりし、

 

国民「おおみたから」と、

 

歴代天皇が守り続けてきた祈りを

 

戦争という形で失ってしまった。

 

 

 

そのことを、私はどのように

 

天照太御神と歴代天皇に

 

謝罪すればよいのでしょうか、

 

 

といった日本の最高祭主としての

 

悲痛と苦悩が感じられるものでした。

 

 

 

  8月30日、

 

日本に進駐した連合国軍最高司令官

 

総司令部(GHQ)の

 

 

ダグラス・マッカーサーは、

 

千代田区の第一生命ビルに

 

GHQ総司令部を設け、

 

皇居を見下ろす6階の執務室で、

 

日本の占領政策に着手します。

 

 

 

9月27日、

 

敗戦国の国王となった昭和天皇は、

 

敵将マッカーサーに会うために、

 

初めてアメリカ大使館公邸を訪れます。

 

 

 

しかし、玄関で出迎えたのは、

 

マッカーサー本人ではなく、

 

わずか2人の副官だけでした。

 

 

 

マッカーサーに会った

 

昭和天皇は こう語ります。

 

 

 

「私は、日本の戦争遂行に伴う

 

いかなることにも、また事件にも

 

全責任をとります。

 

 

また、私は日本の名において

 

なされたすべての軍事指揮官、

 

軍人及び政治家の行為に対しても

 

直接に責任を負います。

 

 

 

自分自身の運命について、

 

貴下の判断が如何様のものであろうとも、

 

それは自分には問題ではない。

 

 

構わずに総てのことを進めていただきたい。

 

私は全責任を負います。」

 

 

 

 

この言葉にマッカーサーは驚きました。

 

 

マッカーサーは、

 

他の敗戦国の国王と同様、

 

昭和天皇が命乞いに来るだろうと

 

考えていました。

 

 

 

世界の歴史を見ても、

 

自らの命と引き換えに

 

自国民を救おうとした国王は

 

いなかったのです。

 

 

マッカーサーはこの時の

 

衝撃と感動を自身の『回想記』に

 

こう記します。

 

 

「私は大きな感動に揺さぶられた。

 

 

 

死を伴うほどの責任、

 

それも、私の知り尽くしている

 

諸事情に照らして、

 

明らかに天皇に返すべきではない

 

責任までも引き受けようとされた。

 

 

 

この勇気に満ちた態度に、

 

私の骨の髄までも揺り動かされた。

 

 

 

私はその瞬間、

 

私の眼前にいる天皇が、

 

個人の資格においても、

 

日本における最高の紳士である、

 

と思った。」

 

 

 

昭和天皇の言葉を受けた

 

マッカーサーは

 

次のように返答します。

 

 

 

「かつて、戦い敗れた国の元首で、

 

このような言葉を述べられたことは、

 

世界の歴史にも前例のない事と思う。

 

 

私は陛下に感謝申したい。

 

 

占領軍の進駐が事無く終わったのも、

 

日本軍の復員が順調に進行しているのも、

 

これ全て陛下のお力添えである。

 

 

 

これからの占領政策の遂行にも、

 

陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。

 

どうか、宜しくお願い致したい」

 

 

 

マッカーサーは、立ち上がって、

 

昭和天皇の前に進み、

 

抱きつかんばかりに

 

 

天皇の手を握りしめて、

 

 

「私は、初めて神の如き帝王を見た」

 

 

と述べました。

 

 

 

わずか37分の会見でしたが、

 

マッカーサーの

 

昭和天皇に対する態度は、

 

『180°』変わりました。

 

 

 

 

  当時、

 

 

ソ連やアメリカの本国では、

 

「日本の天皇を処刑すべき」

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との主張がありましたが、

 

 

昭和天皇の態度に感動した

 

マッカーサーは、これらの意見を退け、

 

自ら天皇助命の先頭に立ったのでした。

 

 

 

  敗戦直後、

 

 

日本はボロボロになり、

 

人々は餓えていました。

 

 

 12月、

 

 

昭和天皇は、松村謙三農林大臣に、

 

「多数の餓死者をだすようなことは

 

どうしても自分にはたえがたい」と、

 

 

皇室の御物の目録を農林大臣に渡され、

 

 

「これを代償としてアメリカに渡し、

 

食糧にかえて国民の飢餓を1日も

 

凌ぐようにしたい。」

 

おっしゃりました。

 

 

  その後、

 

 

幣原首相が、マッカーサーへ

 

御物の目録を差し出すと、

 

感激したマッカーサーは、

 

 

「自分が現在の任務についている以上は、

 

断じて日本の国民の中に、

 

餓死者を出すようなことはさせぬ。

 

 

かならず食糧を本国から移入する

 

方法を講ずる」と請け合いました。

 

 

 

松村謙三農林大臣は、

 

『三代回顧録』に、

 

「これまで、責任者の私はもちろん、

 

総理大臣、外務大臣がお百度を踏んで、

 

文字通り一生懸命に懇請したが、

 

 

けっして承諾の色を見せなかったのに、

 

陛下の国民を思うお心持ちに打たれて、

 

 

即刻、

 

『絶対に餓死者を出さぬから、

 

陛下も御安心されるように….』

 

というのだ。

 

 

 

それからはどんどん、アメリカ本国からの

 

食糧が移入され、日本の食糧危機は

 

ようやく解除されたのであった。」

 

と記しています。

 

 

昭和天皇の国民を思う御心が、

 

マッカーサーや大臣達の心を動かし、

 

餓えた日本国民に食糧が

 

届けられたのです

 

 

 

それから6年後の1951年4月、

 

 

マッカーサーはアメリカへ

 

帰国することになります。

 

 

 

その報道を受けた日本の新聞には、

 

マッカーサーへの感謝を綴った広告が並び、

 

マッカーサーが帰国のため、

 

車で東京国際空港に向かった際には、

 

沿道に見送りの日本人が

 

約20万人も 押し寄せました。

 

 

 

 1955年、

 

 

安保条約改定に向け、

 

ダレス国務長官と会談するために、

 

アメリカへ旅立つことになった

 

重光外務大臣は、渡米前に

 

昭和天皇に拝謁(はいえつ)しました。

 

 

 

昭和天皇は重光外相にこう伝えます。

 

 

「もし、マッカーサー元帥と会合の

 

機会があらば、自分は米国人の

 

友情を忘れたことはない。

 

 

 

米国との友好関係は

 

終始重んじるところである。

 

 

 

特に元帥の友情を常に感謝して、

 

その健康を祈っている、

 

と伝えてもらいたい。」

 

 

 

重光外相は訪米すると、

 

ニューヨークにいた

 

マッカーサーを訪ね、

 

 

昭和天皇の御言葉を伝えました。

 

 

マッカーサーは重光外相に、

 

こう語りました。

 

 

「私は陛下にお会いして以来、

 

戦後の日本の幸福に

 

最も貢献した人は天皇陛下なりと

 

断言するに憚(はばか)らないのである」

 

 

 

さらに、 マッカーサーは

 

 

昭和天皇と初めて会見した日を回想し、

 

昭和天皇が、

 

「自分はどうなってもかまわない。

 

 

自分は全責任を負う」

 

と述べられたことに触れて、

 

 

「私は、これを聞いて興奮の余り、

 

陛下にキスしようとした位です。

 

 

 

もし国の罪を贖うことが出来れば

 

進んで絞首台に上がることを

 

申し出るという、

 

 

この日本の元首に対する

 

占領軍の司令官としての

 

私の尊敬の念は、

 

その後ますます

 

高まるばかりでした。

 

 

 

陛下は御自身に対して、

 

いまだかつて恩恵を私に

 

要請したことは有りませんでした。

 

 

 

とともに、決して、

 

その尊厳を傷つけた行為に

 

出たこともありませんでした。

 

 

どうか日本にお帰りの上は、

 

自分の温かいご挨拶と

 

親しみの情を、

 

陛下にお伝えください。

 

 

その際、

 

自分の心からなる

 

尊敬の念をも

 

同時に捧げて下さい」

 

 

 

 

会見前は、

 

ふんぞり返って

 

いるような態度を取っていた

 

マッカーサーが、会見後には、

 

昭和天皇のやや斜め後ろを

 

歩くような敬虔で柔和な態度で

 

会場から出てきました。

 

 

会見後、

 

マッカーサーは予定を変更して、

 

自ら昭和天皇を玄関まで見送られました。

 

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

私は、サプライズ、感動秘話、人情話、神対応などが好きで、

Youtubeでいつも楽しんでおります。

 

近来、天皇陛下の退位などの報道に、いま平成天皇から

次世代の天皇へ移り行く状況下の中で、自分が生まれた

昭和時代と昭和天皇について興味が沸き、Youtube

探して拝見しました。

経済大国として世界から注目されるように、大きく時代を変革

させるキッカケにもなったなった敗戦の歴史を、記事に残したく、

また、Youtubeの素晴らしいい内容を、多くの方々に視聴して

欲しい思いで投稿させて頂きました事をご了承願います。

 

 

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