トルコ、日本、感動、人情、友好国、親日国、戦争、感謝、恩、大統領、

コーヒータイム・心の癒し

日々、笑顔で、楽しく、元気よく、知的・才的・紳士的、ユーモアに

--- 広告 ---
--- 広告 ---

‶親日国・トルコ‴の100年後の恩返し!!(超感動的実話)

読了までの目安時間:約 15分

 


スポンサーリンク

スポンサーリンク

親日国・トルコ” の

 

  100年後の恩返し!!

 

           (超感動的実話) 

 

 

 

 

日本から遠く離れた場所にあるトルコ。

 

 

100年以上前のトルコ船遭難事故をきっかけに、

 

日本とトルコの間には、

 

深い友好関係が築かれているって知ってるかな?

 

 

僕の名前はトーゴ―、26歳、

 

トルコから東京の大学に

 

留学して2年になる。

 

 

 

僕の祖国のトルコと、

 

日本の国と国の侵攻が

 

始まったのは1873年、

 

岩倉使節団の頃からだと言われている。

 

 

 

だけど、トルコ国民が

 

 

親日感情を持つようになったのは、

 

ある事件がきっかけだったんだ。

 

 

 

それは1890年の、

 

エルトゥールル号事件っていうものなんだ。

 

 

 

オスマントルコ帝国親善使節団一行が、

 

明治天皇に謁見するために、

 

日本を訪問したんだけど、

 

その帰りに悲劇は起きたんだ。

 

 

 

我が国使節団一行が乗った船、

 

エルトゥールル号が

 

強風にあおられて岩礁に激突し、

 

水蒸気爆発が起き、

 

 

乗員600名が海に投げ出されてしまったんだ。

 

 

生存者は数十メートルの断崖を這い上がり、

 

灯台守に遭難を知らせ、助けを求めた。

 

 

 

通報を受けた村の住人が、

 

総出で救助と介抱をしたらしい。

 

 

 

台風で住民達も漁に出られず、

 

蓄えも少ししかなかったのに、

 

食べ物や着るものをくれて、

 

それは献身的に助けてくれたんだって。

 

 

 

この事件は、死亡者、行方不明者587名という

 

大惨事だったんだけど、

 

村の住民たちのお蔭で

 

69名の人たちが助かった。

 

 

 

この事故を聞いた明治天皇は、

 

とても心を痛めて

 

可能な限りの援助を行うように、

 

政府に指示し、

 

新聞でも大きく報じられ、

 

多くの義援金や物資が集まったんだ。

 

 

 

そして、至れり尽くせりの介護を受けたあと、

 

日本海軍の船で、生存者を無事に

 

イスタンブールに送り届けてくれたんだよ。

 

 

このニュースは、瞬く間にトルコ国民の間に伝わって、

 

遠い日本という国で、日本人たちが

 

いかにトルコ人を助けるために一生懸命だったか

 

という話が語り継がれているんだ。

 

 

ところで、1923年、

 

それまでのオスマントルコ帝国とは

 

全く違う近代国家トルコ共和国を建国した英雄、

 

ムスタファ・ケマル・アタチュルクという

初代大統領がいるんだけど、

 

このアタチュルク大統領が、

 

お手本にした国が日本なんだよ。

 

 

 

江戸幕府を倒し、明治政府という

 

理想的な近代国家を築き上げた

 

日本の大改革を目標にしたんだ。

 

 

 

アタチュルク大統領は、

 

明治天皇を崇拝していただけでなく、

 

日露戦争で、日本が長年トルコを苦しめ続けてきた

 

ロシアに勝利したことにも、

 

 

大きく感銘を受けたそうだ。

 

 

なんでも、明治天皇の写真を自分の部屋に

飾っていたとも言われているほどなんだ。

 

 

また、ロシアのバルチック艦隊を、

 

東郷平八郎を率いる連合艦隊が

 

 

撃沈させたことから、

 

生まれた子供に、『 トーゴ― 』と名前をつける人も

 

とても多かったらしい。

 

 

 

そう、俺の名前も『東郷平八郎』から来ている。

 

 

名付け親は、ひいおじいちゃん。

 

 

実は、ひいおじいちゃんは、

 

エルトゥールル号事件の生存者だったんだよ。

 

 

日本に受けた恩を代々忘れないでほしいという

--- 広告 ---
--- 広告 ---

 

思いが込められているらしい。

 

 

俺の名付け親となって すぐ天国に旅立ったんだ。

 

第二次世界対戦で敗戦して、

 

全てを失った状態の小さな島国が、

 

短期間で急成長し、

 

世界に誇る技術大国に発展した

 

日本の素晴らしさを、

 

よく家族に話していたらしい。

 

 

あと、日本ではほとんど知られていないけど、

 

トルコでは、日本がやってくれた三つの偉業を、

 

ほとんどの国民が知っていて、

日本のおかげだととても感謝しているんだ。

 

その一つはボスポラス海峡にかかる吊り橋。

 

ボスポラス海峡にかかる、

 

 

ヨーロッパとアジア大陸を結ぶ橋、

 

 

バーティフスルタンメフメト橋は、

 

日本の政府開発援助で

 

1988年に建設されたもの。

 

もう一つは、ボスポラス海峡トンネル。

 

 

 

ボスポラス海峡横断する海底鉄道トンネル。

 

マルマライも、日本政府の援助で

 

2013年に完成されたもので、

 

開通記念式典には、

 

安倍晋三総理も出席したんだ。

 

 

 

三つ目は日本の皇族の三笠宮家が、

 

カマンカレホユック遺跡の、

 

考古学発掘調査や、

 

 

アナトリア考古学研究所の設立に尽力してくれて、

 

そのおかげで、トルコの考古学史上

 

最大の成果を上げることができたんだ。

 

 

それと、日本のアニメやコスプレは、

 

 

世界中の若者の間で大流行しているけれど、

 

トルコでも台に大人気だ。

 

 

 

このブームでトルコの若者たちの

 

日本への関心は深まって、

 

特に高校生や大学生の

 

日本語習得希望者も、どんどん増えている。

 

 

僕もその一人さ。

 

そしてもう一つ、

 

日本とトルコの友好を語る上で

 

欠かせない実話があるんだ。

 

 

エルトゥールル号遭難事故から、

 

 

およそ100年後の1985年3月、

 

 

 

イラン・イラク戦争中、

 

イラクのサダムフセイン大統領は、

 

今から40時間後をタイムリミットとして、

 

 

これ以降終戦までの間、

 

イラン上空を飛ぶ航空機は、

 

軍用機であろうと民間航空機であろうと,

 

いかなる国の機体であろうと、

 

全て撃墜すると布告した。

 

 

この時、日本は対応が遅れてしまい、

216人の日本人がイランの空港に

 

 

取り残されてしまった。

 

 

イラン大使館の大使は、

 

親交のあったトルコ大使に窮状を訴えると、

 

トルコは即座にトルコ航空をイランに派遣。

 

 

タイムリミットをわずか1時間15分前に、

 

トルコ領空に日本人全てを

 

退避させることができたんだ。

 

 

しかも、イランに500人以上いたトルコ人よりも、

 

日本人を優先しての救出劇だった。

 

 

この時、お礼を述べた日本大使は、

 

トルコ大使にこう言われたそうだよ。

 

 

 

ようやく100年前の恩を返すことができました。

 

 

素敵な話だと思わない?

 

 

みんなは僕の話を聞いてどう思った?

 

 

 

💗💗💛💗💛💗💛💗💛💗💗💛💗💛💗💛💗💛💗💗💛💗💛💗💛💗💛

 

私は最近、日本の歴史に関心をもってから、色々な情報を拝見している中で、

今回のトルコ国との関わりについて驚きの歴史に出会えました。

 

100年も経過しているにも関わらず、忘れることなく抱き続けているトルコ国民の、

計り知れない、この上ない慈愛に満ちた国民性に、ただただ感動し涙が止まりませんでした。

 

このような素晴らしいトルコ国民の国民性を、世界に広めたい思いから、シエアさせて頂きます。

ありがとうございました。

 

💗💗💛💗💛💗💛💗💛💗💗💛💗💛💗💛💗💛💗💗💛💗💛💗💛💗💛

 

 

 

 

タグ :

感動的実話   コメント:0

この記事に関連する記事一覧

コメントフォーム

名前

 

メールアドレス

 

URL

 

 

コメント

トラックバックURL: 
--- 広告 ---
--- 広告 ---
TOPへ戻る