甲子園の敗戦チームが土を持ち帰る習慣は?
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甲子園の敗戦チームが
土を持ち帰る習慣は?
・日本全国の高等学校が凡そ4,000校の中、
甲子園で高校野球の熱戦を繰り広げられるのは、
春の選抜高等学校野球大会と、
夏の全国高等学校野球選手権大会の
2大会のみである。
その甲子園球場に行って
優勝したい一心で、
勝ち抜いて来た高校だけが、
甲子園に出場出来る。
その甲子園球場で試合が出来る
高校は、僅か49校以下であり、
日本の全高校の約1.2%だけが
熱戦を繰り広げられる。
負けた殆どのチームが 、
グランドの土を、シューズケースなど
に入れて持ち帰る光景を毎試合放映される。
この様な習慣になったのは
一体何時頃からなのか、
歴史を知りたくて
探して見ることにした。
全国の高等学校野球大会の歴史は古く、
前身である「全国中等学校優勝大会」として
初めて開催されたのは1915年(大正4年)、
記念すべき第1回大会が代表校10校で
大阪の「豊中球場」で開催されて以来、
昨年100年記念として
甲子園球場で開催された。
実際に甲子園球場で開催され始めたのは、
1925年(大正13年8月)の
第10回全国選抜中等学校優勝野球大会からとなる。
現在は全試合を甲子園球場でのみ
熱戦を繰り広げられていますが、
当時は他の球場も同時に使用していた。
この長い歴史の中で、敗戦チームが土を
持ち帰る様になったのは、1973年の
第23回大会で熊本工業の投手だった
川上哲治が決勝戦で敗れた。
試合終了後にユニフォームのポケットに
土を入れて持ち帰り、
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また、1946年の第28回大会の決勝戦で
敗れた東京高等師範附属中の佐々木迪夫監督が、
最上級以外の選手に来年また返しに来る
と云う意味で、選手の各ポジションの土を
手ぬぐいに包んで持ち帰らせた。
この時の球場は阪急西宮球場
(甲子園球場は米軍が接収中)であった。
この時の試合の状況を新聞で記録されている
最古の土の持ち帰り記事とのことである。
更に、第31回大会で福岡県の
小倉北高のエース・福島一雄投手は
2年前から甲子園球場に連続出場して
夏の甲子園を連覇していた。
第31回大会も5試合とも見事な
連続完封を成し遂げており、
福島一雄投手の高校最後の夏の甲子園で
3連覇も掛かっていたが、準々決勝で
撃ち込まれて肩を痛め9回で無念の降板となり、
延長10回に7対6でサヨナラ負けを喫した。
試合終了の時にベンチからホームベースに
駆け寄った福島投手は、試合終了挨拶後に
無意識のうちにしゃがみ込み、
足元のホームベース付近の土をズボンの
この行為が後に再び後輩が、
甲子園に来る約束のため・・・などと、
また、期待されながら優勝できなかった
福島投手の涙の物語を美談として
マスコミなどが報道したため、
今の姿に継承されて来たらしい。
持ち帰える土が後輩の育成や
今後の活躍と甲子園に向けて
一生懸命努力する一助に成るとすれば、
この上ない素晴らしい習慣であり
賛同したい考えになれる。
日本全国の高等学校野球部員よ!
チームメイトと共に一生懸命頑張れ!
その日々の努力がきっと君たちの未来に、
素晴らしく輝いてくれること 間違いない!!
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