人情・心・恩・男気魂=黒田博樹!?
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野球人生の最後は
「広島カープで・・・」と語り、
公言し続けている男が
ニューヨークに居た。
男気としても知られている黒田博樹投手である。
父は元プロ野球選手で、日米を通して実績と記録を残し、
その後はボーイズリーグで監督を務めていた。
控え・3番手・2番手投手でほとんど出番はなく、
高校最後の夏は1球も投げなかったと云う。
大学に進んだ黒田は、東都大学2部リーグを
優勝に大きく牽引した。
翌年の大学4年目の春には、
チームが東都大学1部リーグに昇格した。
1996年からスピードガン表示が始まった
神宮球場で、黒田は150km/hを計測した。
そのシーズンに6勝し、ドラフト逆指名2位で
広島カープに入団した。
広島カープをドラフトで逆指名した要因は、
大学2部リーグ時の無名時代から、
山奥にある大学のグランドで
練習している黒田を、毎日のように
見に来る広島カープのスカウトが、
黒田の脳裏から離れなかったと云う。
黒田は、初めて自分の価値を認めてくれた
スカウトのいる「広島カープ」に心を決めていた。
入団後も広島カープに限りなく愛情を尽くし深めて行った。
2軍生活を送っていた黒田に、1イーニング限定で投球
する機会を与えられたが、1イーニングで10失点した。
クタクタになった黒田はベンチを見たが、
監督が黒田を変えようとする素振りはなく、
むしろ黒田を育てるためにも変えなっかた。
また、広島カープは球団経営としても
他球団などからの選手補強は出来ない
状況でもあった。
クタクタになった黒田は、
変えられなっかった事を思うと、
自分を育って欲しいと期待されている事を感じたと云う。
広島カープと云う球団は、そのように温かい球団だと
黒田は感じずにはいられなかったのである。
自らが広島カープに入団を決めた以上、
成功するまで努力しなければならない事を胸に秘め、
以来、益々意気揚々と練習に励むことが出来た。
黒田は「不苦無栄光」を座右の銘としている。
「苦しまずして栄光無し」と彼は語る。
その努力の甲斐あって4年で広島カープのエースになっていた。
ミスター完投とも呼ばれる様になった黒田は、
その後実績を重ねている中で
大リーグに夢を描いていた。
平成7年のオフに涙の移籍記者会見で
広島カープを離れた。
平成8年、ドジャースに移籍する際に、
4年で50億の提示を断って3年契約とした。
開幕シーズンを迎え、ドジャースに移籍登板して
大リーグのパワーに先ず驚いたと云う。
自分の非力に悩んでいた時、
メンタルトレーナーから
【マウンドに登板した時は、
常に今が最後の登板と思え】と
アドバイスを受けたと云う。
以来、日本で通用したスライダーだけでは、
この先勝利を上げることが出来ないと考え、
日々の研究と投球しながら球種やコースを
試し続けている中で、黒田魔球を編み出した。
ドジャースで2桁勝利の実績を上げ続けた黒田に、
平成12年1月、ヤンキースから複数年契約の
オファーが有ったが、ここでも単年度契約を通した。
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ヤンキースを選んだ理由は、今まで優勝に向って
一緒に戦ってきた同志に対して戦うには、
全身全霊で戦う気に成れないからだと云う。
そこには以前の同志へえの情・心・恩などが
障害となり、攻めが甘くなってしまうからだ。
単年度契約をしたのも、自分を一番喜んで貰える
フアンのいる広島カープに、いつでも戻れる環境に
して置きたかったからだと云う。
しかし、広島カープに戻る時は戦力に成れる投手として、
それに、戻っても2桁勝利が出来る投手でなければ
恩返しを出来ないと決意していた。
ロサンゼルスドジャーズ在籍4シーズン=41勝、
ニューヨークヤンキース在籍3シーズン=38勝
これは黒田投手のメジャーリーグで築いた実績である。
平成14年のオフに、ニューヨークヤンキースから
再契約を熱望され、また複数球団からの高額オファーを
受けたが断り、自分を育ててくれた広島カープに戻ること決めた。
最高で年俸20億円を超えるメジャーの球団を断り、
その約5分の1の金額で広島を選んだ理由は、
自分を育ててくれた広島カープであり、
今なら戻って2桁勝利で恩返しが出来るチャンスであり、
その自信と気力が有ったからである。
家族をニューヨークに置いて単身で広島に移籍したのは、
広島カープ球団に恩返しするためには、家族が居ると
優しく成るからと云う。
前身全霊で投げて、広島カープ球団に恩返ししたい一心だ。
大リーグ時代に、審判にクレームを云った事の無い黒田が、
マウンドからベンチに帰る際に、審判に向って何かを訴え
ながら一時立ち止まってまで訴えてる場面が有った。
解説者が後で聞いたところ、明らかにストライクゾーンに
なげた1球がボールと判定されたのでクレームしたところ、
「ピッチャーは1球1球を全霊で投球して居るのだ」と
審判に反論したとの事であったと云う。
平成15年はクライマックスシリーズにあと1勝のところで
進めなかったが、今年は早々とセリーグ優勝に導いた。
黒田が戻ったことで
広島カープ球団が常に注目の的にもなり、
広島カープフアンが増えた多きな要因で有ろう。
黒田が日本に復帰の記者会見以来、
黒田が発した
「お金よりも恩義が大切」など、
言葉の節々に人情を感じ、
胸も目頭も熱くなった
筆者も黒田が復帰して以来、
広島カープ球団がいの一番に気に成り、
仲間との話題にもしている・・・。
来シーズンの広島カープ球団が楽しみで仕方がない。
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