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ペルーを強国にした日本人・・・ 国民の英雄となる!【感動実話】

読了までの目安時間:約 16分

 


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  ペルーを強国にした日本人…  

 

        国民の英雄となる!【感動実話】     

 

 

1982(昭和52年)年3月20日、

 

ある日本人が南米ペルーで亡くなりました。

 

 

その人の名前は…加 藤  明

 

 

国民的英雄として知られた加藤さんの死は、

 

現地の新聞に大々的に取り上げられ、

 

儀式には5万人ものペルー人が参列しました。

 

 

 

なぜ加藤明さんは、日本から約1万5千キロも

 

 

離れた異国の地で、こんなにも愛されたのでしょうか・・・。

 

 

加藤明さんは、1993年(昭和8年)

 

神奈川県小田原市に生まれました。

 

 

 

8歳の頃にローラースケートで遊んでいる際に、

 

腕を骨折してしまいました。

 

 

 

その時にリハビリとして始めたのがバレーボールでした。

 

加藤は、バレーボールにのめりこんでいき、

 

中学高校はバレーの練習に明け暮れました。

 

 

加藤は、慶応義塾大学法学部に進み、

 

在学時からバレーボールの選手として活躍し、

 

全国区にその名を知らしめます。

 

 

1955年に実業団の名門「八幡製鉄」に入社。

 

 

1960年から八幡製鉄の主将になり、その年に

 

世界選手権に出場しました。

 

 

日本代表にも選ばれたのですが、

 

世界選手権に出場した後、惜しまれつつ

 

現役を引退します。

 

 

引退後の1961年からは、母校の慶応義塾大学の

 

監督に就任し、2部リーグで低迷していた慶応を、

 

1964年の全日本大学選手権では優勝にまで導きました。

 

 

監督としての手腕は素晴らしく、

 

選手としても一流でしたが、監督としても一流でした。

 

 

そんな加藤に天気が訪れます。

 

 

当時の日本女子バレーボールは、

 

東京五輪で金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と

 

恐れられていた時代で、日本女子バレーボールの

 

黄金時代でした。

 

 

一方、ペルーの女子バレーボールは、世界的に見ると

 

実力はかなり低く、オリンピックには出場すら

 

出来ていません。

 

 

国の代表と云えども練習時間はわずか1時間。

 

お嬢様が趣味程度にしか練習しないというレベルでした。

 

 

ペルー政府は何とかして強化しようと、

 

指導者を察がしていた。

 

 

 そんな時、白羽の矢が立ったのが加藤でした。

 

 

1965年、ペルー政府からの真摯な要請を

 

引き受けることを決めた加藤は、

 

務めていた八幡製鉄を休職し、

 

2年間だけという期限付きで、

 

南米ペルーへと旅立つことにしました。

 

 

まず加藤は「東洋の魔女」の練習風景などの

 

フィルムを見せ、


選手たちに厳し練習を課しました。

 

 

するとすぐに 練習に音を上げ、

 

挙げ句の果てには逃げ出す選手が続出してしまいました。

 

 

新聞には「非人道的な練習」「野蛮な国から来た

 

野蛮な監督」など、批判記事が掲載されましたが、

 

それでも加藤は諦めませんでした。

 

 

それまでのチームにいた白人選手は、

 

次々に辞めて行きましたが、

 

残った貧しい先住民系出身の選手に対し、

 

ペルーバレー界の将来を託すべく、

 

連日、鬼気迫るほどの練習を行い、

 

自らの足でもペルーを歩き回り、

 

才能のある選手を次々とスカウトしていきました。

 

 

加藤はバレーの練習だけでなく、精神面や生活面も

選手たちに指導しました。

 

 

 

戦争で焦土と化した日本が「夢と希望」を失わずに、

 

今日の隆盛をかち得たのは、日本人の「努力」と「礼節」に

 

よるものと説明し、少しずつ選手や周りの人たちも

 

加藤の考え方を理解していきました。

 

 

練習後は、たびたび選手たちと食卓を囲み、

 

「スキヤキ」を振る舞ったり、

 

得意のギターを弾いたりして、

 

坂本九氏の「上を向いて歩こう」を、

 

よく一緒に歌いました。

 

 

こうして家族同様の交流を深めていき、

 

加藤の熱意が選手たちに伝わったチームの実力は

 

格段に向上していったのです。

 

 

 

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そして2年後の1967年、東京で世界女子バレー選手権が行われました。

 

 

この大会が終われば、加藤は監督就任期限を迎え、

 

日本に帰国することになっていました。

 

 

結果は残念ながらペルーの成績は、出場国の中で最下位。

 

そして日本には、1対15という大敗を喫しました。

 

 

任期の延長を求めましたが、会社に却下されてしまいます。

 

 

心残りのまま、ペルーの選手団を空港で見送る加藤でしたが、

 

別れを惜しむ選手たちと加藤の姿が奇跡を起こします。

 

 

別れを惜しむペルーの選手団の姿が、

 

次の日の新聞の紙面を飾りました。

 


すると、この記事を見た会社側が、

 

「ここまで選手たちに慕われているならば」と、

 

加藤にさらに1年間、休職を延長することが認めたのです。

 

 

加藤が帰国するまで残り1年間。

 

選手たちはそのほとんどを練習に費やしました。

 

 

すると2年前まではほとんど勝てなかったチームが、

 

実力をつけ始めたのです。

 

 

加藤率いるペルーチームは躍進します。

 

 

1968年に開催されたメキシコ五輪に初出場。

 

 

惜しくもメダルには届きませんでしたが、

 

主催国のメキシコ、韓国、アメリカを破り、

 

4位入賞を果たしました。

 

 

「野蛮な監督」が「ペルーの英雄」に変わった瞬間でした。

 

 

時のペルーでは、子供に“Akira”と名づける親が続出しました。

 

 

加藤の次の目標は、

 

「世界最強の日本チームに勝つこと」、

 

今後も代表監督としての指導を続けようと、

 

加藤氏は会社を辞めて、ペルーに永住する決意を固めました。

 

 

しかし、その加藤を突然病が襲います。

 

 

ウイルス性急性肝炎でした。

 

 

加藤は監督を辞任し、10年以上にわたる長い闘病生活を

 

余儀なくされました。

 

 

1982年、女子バレー世界選手権がペルーで始めて

 

開催されることが決定。

 

とても喜ぶ加藤でしたが、

 

既に体力の限界が近づいていました。

 

 

そして加藤は、1982年3月20日、

 

49歳の若さでその生涯を終えました。

 

 

その日、サッカーの国内リーグが開催されていた

 

リマのスタジアムに「アキラ・カトウ死す」の

 

速報が流れると、熱狂していたスタジアム中は

 

静粛に包まれ、次の瞬間、どこからともなく

 

涙する声に包まれていったといいます。

 

 

新聞各誌は、「ペルーは泣いている」との見出しで、

 

最大級の哀悼の意を示したのです。

 

首都のリマでは、教会の鐘が打ち鳴らされ、

 

弔意を表す車のクラクションが、

 

一晩中鳴り止まらなかったといいます。

 

 

葬儀には約5万人のリマ市民が参加し、

 

ベラウンデ大統領が弔辞をよせ、

 

参列した加藤の教え子たちは、かつて共に一緒に

 

歌った「上を向いて歩こう」を、

 

涙ながらに合唱したのでした。

 

 

加藤の死から半年後に開催された、

 

女子バレー世界選手権で、かつて大敗した

日本と対戦したペルーは、なんと日本から

 

初勝利を飾りました。

 

 

ペルーは日本を破り準優勝し、

 

銀メダルという快挙を達成したのです。

 

 

日本人である加藤が、ペルー人となって

 

17年かけて蒔いた種が、花を咲かせた瞬間でした。

 

 

その瞬間に大量の花吹雪がコートに舞い、

 

客席から「アキラ・カトウ」の大声援が

 

鳴り響きました。

 

 

ペルー大使公邸の緑地帯には、加藤の記念碑も建てられ、

 

名前を冠した「アキラ・カトウ、小・中学校」も

 

設立されています。

 

 

現在、加藤の墓は歴代大統領と並んで建てられており、

 

彼の命日には今でも献花に訪れる人が後を絶ちません。

 

 

実際に彼がペルーのバレーに関わった時間は、

 

それ程長くはありません。

 

しかし、日本人であるにも関わらず、

 

ペルーのためにと、必死で指導した彼の姿は、

 

強烈な印象をペルーに残したのです。

 

 

世界選手権でペルーが日本を破り、

 

銀メダルを獲得したことは、天国の加藤に対して

 

これ以上ない手向けとなったことでしょう。

 

 

私は加藤明氏を、日本人として誇りに思います。

 

~~~ おわり ~~~

 

 

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これはYoutubeの動画です。

 

動画のURL  ttps://www.youtube.com/watch?v=hctq5il2FOs

 

 

この動画の投稿オーナー様が、

沢山の方々に見て頂けるようにと、

動画の拡散を希望されております。

 

動画の内容がとても感動的ですので

掲載させて頂きました。

 

動画の投稿オーナー様に

心から感謝申し上げます。

有難うございました。

 

※動画投稿オーナー様のお考えに

添えるお方は動画をご覧願います。

 

 

※☆※★※*※☆※★※*※☆※★※*※☆※★※*※☆※★※*※☆※★※*

 

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