カルロス・ゴーン、億、報酬、ダニ、日産、トヨタ、ホンダ、粉飾決算、一族、悪、裁判

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就任当時の ❝カルロス・ゴーン氏❞ は凄い人!?

読了までの目安時間:約 14分

 


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これが ‷ カルロス・ゴーン氏

 

       就任時の顔だった !?

 

 

 

【筆者がカルロス・ゴーン氏の

 

就任当時に感じた状況を記した筆跡です】

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

 

当時の記事のタイトル

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 

カルロス・ゴーン氏は

 

             “日産の顔”になった!?

 

 

 

 「TOYOTA」「HONDA」

 

競争しながら、日本経済の一翼を担ってきた

 

「NISSAN」 自動車が、

 

“99”年度末決算を待たずに

 

三度目の経営危機に陥っていた。

 

 

 

“91”年から8年間のうち

 

7年が赤字決算となり、

 

負債総額は2兆1千億円まで膨らんでいた。

 

 

赤字が膨れ上がるばかりで

 

上場企業のワースト記録を更新し、

 

上場マーケットから、

 

退場勧告を受けるのではと云われた。

 

 

社員の大部分が

 

「これだけ大きな会社が

 

倒産するなんて有り得ない」

 

と云う考え方が大半だった。

 

 

 親方日の丸にも似た

 

根拠の無い安心感が、

 

社内に蔓延していた。

 

 

 

日産の最大の問題は、誰が見ても

 

「危機感が無い」ことだった。

 

 

「技術の日産」と自負していたが

 

 

「時代遅れの日産」と批評され、

 

日産車は「ダサイ車」とまで云われた。

 

 

新社長が誕生すると経営方針が一変し、

 

必ずと云っていいほど前任者の政策が否定され、

 

どれもこれもが中途半端になった。

 

 

 

トップが変わるたびに、

 

社員は右を見たり左を見たり、

 

社内は益々混乱し、冷めていた。

 

 
新車が売れない、販売が悪い、

 

マーケティングが下手だ、

 

デザインが悪いなどと争い、

 

キチンとした検証も責任追及も

 

無い無いの無責任体質が、

 

人事の腐敗にも繋がった。

 

 

それは仕事上の実績が人事に反映されず、

 

仕事は仕事、人事は人事だった。

 

 

上司の経営感覚も歪んでおり、

 

めでたい人間ばかりが出世し、

 

本当の会社を思って、

 

真剣に上司の耳の痛い事を云う様な、

 

骨のある社員は外に放り出された。

 

 

日産はそう云う会社だった。

 

 

縞社長は、社員も役員も

 

「危機感を共有」できない体質を痛感していた。

 

 

日産を変えるには「異文化の刺激」が

 

絶対必要だと決意しフランスに飛んだ。 

 

 

百年の歴史と技術を誇る、

 

ルノー社のシュバイツァー会長に、

 

 

「カルロス・ゴーン」氏を

 

日産に来て貰いたいと、

 

縞社長自らお願いした。

 

 

その後、日産はルノー社と業務提携が成立し、

 

資本注入を受ける事になった。

 

 

ブラジル人の父とフランス人の母を持つ、

 

カルロス・ゴーン氏を招請した日産は、

 

強力なリーダーの出現で社員の目つきが変わった。

 

 

日産社内の主用語も、

 

日本語から英語に変わった。 

 

 

本社社員の殆どが英語を話せなかった。

 

 

最高執行責任者になった

 

カルロス・ゴーン氏の主用語は

 

フランス語であるが、

 

リバイバルプランを英語で発表した。

 

 

 

就任1年後の初年度から

 

連結黒字決算にするなどと、

 

目標達成期限を宣言し驚かせた。

 

 

社内に9つのプロジェクトチームを立ち上げ、

 

日産の問題点等を洗い出させた。

 

 

日産社内で2~3ヶ月掛けていた作業を、

 

2~3日でヤレと命じられ、

 

社員は大きなカルチャーショックを感じた。

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「変化の規模と速度」は、

 

日本の常識をも覆すものだった。

 

 

予想外の指示が多いため

 

現場は大混乱していたが、

 

 

会社が変わるためには混乱は不可欠であり、

 

大混乱こそが従来の

 

「悪弊を変革」する第一歩であった。

 

 

財政の立て直しは再建への必要条件だが、

 

合理化だけでは日産の蘇生は無く、

 

「本業の再建」なしに

 

「復活」は有り得なかった。

 

 

日産の元凶を取り除き、

 

再起するためには 何をしなければならないか、

 

社員は良く知っていた。

 

 

問題点も解決策も常に社内にあり、

 

現場と経営者が一緒になって作り上げた。

 

 

国内の状況は、長銀も山一證券も、

 

上場会社が次々と姿を消して行った。

 

 

 

新しい時代について行けない企業は、

 

倒産することを如実に証明していた。

 

 

時代の変化を感じた日産社員は、

 

懸命に働き、必死にその任務を果たしていた。

 

 

 

カルロス・ゴーン氏が就任してから

 

ちょうど2年目に、予想を大幅に上回る

 

利益を上げていることをマスコミに発表した。

 

 

“01”年度末連結決算では、

 

当期利益3,311億円という

 

日産創業以来、最高の数字を出すことになった。

 

 

日産は

 

「人も企業も変わらなければ生き残れない」

 

 

「企業は人材なり」を自らも実行し、

 

世界に証明したのだった。

 

 

世相は変化を起こした企業だけが

 

生き残れる時代になっていた。

 

 

いま日産社員は「NISSAN」

 

「ブランド」に向かって取り組んでいる。

 

 

・今年の4月24日付朝刊に

 

「4年で負債2兆円解消」の見出しで、

 

 

カルロス・ゴーン氏と

 

日産車<プレサ―ジュ>が写っていた。

 

 
・6月10日付朝刊に

 

「日産、中国に新会社設立」の見出しで、

 

カルロス・ゴーン氏と中国の関係者が写っていた。

 

 

・ 6月27日付朝刊に

 

「ミニバン競争激化、

 

日産が来月新型車」の見出しで、

 

また、 カルロス・ゴーン氏と

 

日産車<プレサ―ジュ>が写っていた。

 

 

最高執行責任者になって以来、

 

日産の話題には必ずと云っていいほど、

 

カルロス・ゴーン氏が

 

マスコミに表れるようになった。 

 

 
私は、キヨスク売店で

 

「カルロス・ゴーンを英語で読もう」

 

と云う本を開いて見た。

 

 

紙面全面に曲がりくねった線を見た瞬間、

 

アゴを引きながら左から右ページを流し見て、

 

静かに棚に戻し新幹線ホームに急いだ。

 

 

 新幹線の車窓から外を眺めると、

 

カルロス・ゴーン氏の面影が一瞬、

 

窓ガラスに映っていた様に見えた。

 

 

少し離れた高速道路に目をやると、

 

そこには偶然にも、夕日に向かって走る

 

‟日産製“のJRバスが走っていた。

 

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

当時のカルロス・ゴーン氏の表の顔からすると、

 

数年前から騒がれている【粉飾決算・像相・裏工作】など

 

など、考えられない事象が報道されておりますが、

 

 

就任当時の1年目から、カルロス・ゴーン氏の報酬が、

 

約7億とかの報道が有り、日産の取締役会で異論が出た

 

などが報じられておりました。

 

 

当時の日本の一部上場会社・トヨタ自動車社長の

 

数倍の金額に国民が驚かされたものです。

 

 

 あれから約20年もの間ニ、これ程の報酬を受けて居ながら、

 

カルロス・ゴーン氏の一族が日産のダニの様な形で、

 

世界に報じられているようだが、お金をいくら

 

欲しかったのだろうか?・・・と、

 

一瞬、ツマラナイ気持ちに成ってしまいました。

 

 

カルロス・ゴーン氏は事実について裁判の様ですが、

 

私は星の色が少し気になっておりますが・・・?

 

( ドウデモイイデスケドネ !

 

 

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